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生い立ち年表

ここのFC2にBLOGを引っ越してきたとき、
自己紹介はあとでします、と書いていました。
それから、ずっと書かずに今まできてしまいました。
簡単に書いておこうと最初は思いましたが、
そのうち、年表形式で書いちゃおうかなぁなどと考えるようになって
そのうち、そのうちと思うままに時間が経ってしまいました。

本当に、かなり詳しく、恥ずかしげもなく、はっきりいって
赤裸々過ぎるくらいに書いてしまったのですが、
これは最初に立ち上げたBLOGのときに、実は
ぼちぼちと、ブツブツと語っていこうと思っていたことで、
でも、あのときはBLOGを始めた途端に今のダンナさまと出会ってしまって
暗い過去をブツブツ、ジメジメと語るようなことは見事に
吹っ飛んで、世にも迷惑なノロケBLOGになってしまいました。。

もちろん読んで頂かなくてもいいのです。
自分自身のアカというか、清算ですから…。
でももしも読んで頂けたら、今現在の私とBLOGを始める前の
過去の私とではあんまりにも、ギャップがありすぎて
びっくりされるかも、です。
私もその当時は、本当にジェットコースターに乗っているようで
自分でも何が起こってしまったのかというくらいびっくりしていました。
運命ってやつわ、本当に時々すごいことになるもんです。
生きていればいつかは報われるものなのかもしれないです。。

もちろん、アンタなんかまだまだ甘っちょろいワヨ!
そんなんで、苦しがってたのか?笑っちゃうね~

という人はたくさん居ると思います。
でも、そのときの私はいっぱい一杯で、なんとかここまで
運良く、たどり着けて、自分なりに良く超えてこれたと思うのです。
そんな自己満足なモノですので、すみません。先に謝罪を・・・
なんだか書いて吐き出さないと、いつまでも自分の中にドロドロと
溜まってしまっていて、苦しいような気がして
今回やっとすっきり吐き出せたような気がします。。

でも、そんな昔の自分がいるから今の幸せというか
有り難さには感謝せずにはいられないのです。
普通なことが、どれだけすごいことか・・・感じずには居られないです。
この感謝の気持ちをどこかに、誰かにお返したいくらいなのです。
(ああ、やっぱり自己満足だ・・)

こんな時期にこんなものを書くのはもしかしたら、
今、妊娠しているせいかもしれないです。
なぜかこの時期、過去のことが思い出されてきて、辛くなったり
考え込んだりしてしまうのです。ホルモンのせいなのかな~?

これから親になろうとするときに、無意識のうちに、自分を振り返って、
反省して整理整頓して、子供や家族にこれからどうすればより良くできるか、
とか、こんなことはしてはならない、とか、
考えさせるプログラムが働いてるのかもしれないです。

でも、これを誰かに話すのは重過ぎるだろうし、また理解もしづらいだろうし
私自身うまく話せないまま消化不良になりそうです。
なので、こっそり書き出して自分の外に置いておく事にして
楽になってしまおうというわけです。

では、長文&お目汚しです・・・ごめんなさい。





1973年(昭和48)4月
東京中野に生まれる。オイルショックの年。団塊jr。

1974年5月(1歳)
早くも妹が誕生。知らぬ間にお姉ちゃんになる。

1978年(5歳・6歳)
幼稚園に入園。
モラハラな父の影響で、このころ既に引っ込み思案で繊細な子供。
だけど、なぜかガキ大将のボーイフレンドがいた…初恋?

父は当時も、今現在に到るまで職が定まらない。カンが強く手をもてあました
祖母が甘やかしすぎて育てたせいで我慢や忍耐が出来ずに
育ってしまったようで、嫌になるとすぐに学校でも仕事でも辞めてしまうのだ。
なのでウチはいつも貧乏。育て方の間違いで自尊心だけは異常に高く
設定されてしまっているにもかかわらず、現実的には社会的な地位の低さや
学歴の無さなどのため、おそらく劣等感のカタマリであっただろう、
父自身のプライドを高位置で常に保つためには私たちは必要な存在だった。
父の心に溜まったストレスや鬱憤は家族をバカにした発言をくりかえしたり、
無視したり、まるで小学生か中学生のいじめのようなことを
家庭の中でして自分を優位に保つという幼稚な方法で処理されていた。
「モラル・ハラスメント」である。
外では温和で善人で、真面目そのものに見える父であったが
家庭の中では無敵の王様を演じていた。
いつも、「お父さんは世界で一番偉いんだ」と言っていた。
それは冗談のようであったが、もしかしたら父は本気でそう思っていた
部分もあったのかもしれない。それがモラルハラスメントをする人格の
特徴だから・・・
そして「ウルトラマンやハリマオだったのだ」とも幼い私たち姉妹に
言い含めていた。・・・それは絶対無い。世界で一番偉いはずが無い。
4歳か5歳の私でも直感的にそう思っていた。こんなひどいことをする
人間が偉いはずが無いと。母は奴隷のように扱われ、
私たちはときどき遊んでやるおもちゃかなにかのように弄ばれていた。
家庭の中だけは、絶対的な存在として、家族を服従させるために、
暴力を振るうことは日常茶飯事。時折みせる優しさは、気まぐれで
継続性はない。さっきまでは良かったことが、次の瞬間には
してはいけないことになる。暴力、暴言の嵐が過ぎ去るのを、震えながら
耐えるしかない。私たちは毎日のようにそういった理不尽に振り回され、
「逆らってはいけない、言うとおりにしていなければ、居場所はない」
そんな、抑圧された、日常を送っていた。
妹はなぜか特にいじめられていた。一番弱くて、痛めつけても泣くばかりで、
逆らえないのでいじめやすかったのかもしれない。
今でも妹はその心に傷を抱えている。
父が妹をいじめるときには、私はそんな妹をいじめる上で
妹がより劣等感を感じられるように利用され、
異様に持ち上げられる役目を負わされていた。

私は妹に悪いと思いつつ、小さいときはその立場に甘んじていた。
妹のようには扱われたくなかったからだ。
私自身は妹をいじめるようなことはしなかったが、
自分を守るため、必死にいい子になろうとした。
真面目に勉強し、いつも妹よりも全てにおいて優秀であろうとした。
私はそのゆがんだ父の愛情表現ににすがりつつ、妹に対しては
深い罪悪感を持つようになっていった。全く意識せずに。
「私は本当は愛されてはいけない。愛されることは実は罪なのだ」
と潜在意識の中に幼少期から強く刷り込んでいった。
それはやがて思春期になるにつれて表面化し、
悩み苦しむ原因になっていった。
「私は幸せにはなってはいけない・・・」


1980年(7歳~12歳)
小学校入学。
繊細さは徐々にエスカレートしていく。周りの環境によって
いじめられっ子だったり、元気な子供になったり。
小学校3年のときは元気モードな年で調子にのって
学級委員をやったりした。得意科目は体育と図工。
かけっこが早くてリレーの選手だった♪

1985年(12歳)
6年生の2学期で埼玉に転校。父の現実逃避的な「田舎に住みたい」
の一言で決定。当時タモリが埼玉のことを「ダサいタマ」と言って
流行していたので、ダサいタマ…ちょっとイヤだった。。
思い切り中途半端な時期に転校したため、修学旅行には行けなかった。
「東京モンの転校生」と男子によくからかわれる。

1986年(13歳~15歳)
中学校入学。野球部のイノハナくんに似ていると男子が教室に見に来るので
彼を見にいくと、ホントに似ていてショックを受ける。。馬っぽい。
なぜか、男子によくからかわれ、男性恐怖症になって3年間、
ほとんど男子とは口を聞かなかった。
私はいつも男子にからかわれることが多く、そのため自分はいじめられっ子だと思っていたが、
実はこれはこの頃の男の子の行動に特徴的な「好意があるからからかってしまう」
という性質のものだったらしい・・・と20代後半のころ、ふと妹からの言葉で知ることになる。
なんでも妹が中学に入学したときに、「お前の姉さんは、男子に人気があるらしいぞ」と
担任の先生からいきなり言われたらしいのだ。
妹は教えてくれなかった。。それを当時知っていたら、
私のその後の人生の選択は違ったものになったかもしれないし、
少しは楽しい青春が送れたかもしれない。
すっかり被害者意識の強くなってしまっていた私は
そんなことは露知らず、男は嫌いという理由で進学は女子高を希望し、
受験勉強に励んだ。

1989年(16歳~18歳)
女子高に入学。ここから、女性ばかりの世界へ突入する。
この頃には人間関係自体にどうしてよいか分からず、男の子だけ
じゃなく、人とどう距離を保ってよいか分からなくなっていた。
自分の意思を主張できず、他人の意見や顔色をみてから判断して
答えをだす。あるいは意見は言わずに様子見で、流されるまま。
友達はわずか・・・。思春期真っ只中のよくある悩み・・・
「私は一体何者なの?どういう人間なの?」
私の高校生活は青色ではなく灰色のまま終わってしまった。

1992年(19歳~20歳)
福祉の仕事がしたかったので福祉系短大に入学。
やっぱり女だけの世界。
少し羽を伸ばしてみる。。がやっぱり人間関係は難しい。
どうしても、心に壁が立ちはだかってわずかな友人とも心が開けない。
卒業すると連絡も途絶えた・・・
知り合った彼氏とも1年半でお別れ。その彼から
学んだことは「優しいのと優柔不断は似てるけど全く違う。」

1994年(21歳~24歳)
診療所の医療事務として就職。やはり女性中心の職場環境。
就職難でフリーのまま卒業して、知り合いの紹介で見つけた。
自分が迷って悩んでるのに、他人のことなど、福祉やカウンセリング業など
できるはずもないので、これで良かったと今は思う。
(でも、いつかは何かしらのカタチでやってみたい・・・)
もし、福祉系で見つけていたら、確実に行き詰っていただろうと思う。
運良く医療事務の仕事は向いていたようで、仕事だけは楽しくできていた。
しかしプライベートでは友人とも連絡はほとんど無く、どこにも遊びにも行けず。
(ひとりで遊ぶ勇気も無く行けない・・)妹は家庭内の寂しさを外で紛らわせ
明るく振舞っていたので私とは好対照で友人も多く、楽しそうに飛び回っていた。
それと比較すると自分の現状が寂しくて情けなくて、苦しくて孤独感も日に日に強くなり
この頃から、「私はひとりぽっち・・・もう死んでしまえたらいいのに・・・」
と本格的に悩み始め、すると仕事にも集中できなくなりミスを連発。
上司に次第に疎まれるようになり、職場でも居場所がなくなっていった・・・。
そしてついに24歳の時、うつ病になって逃げるように退職。


1998年(25歳~26歳)
・・・どうしてこんな風になってしまたのか、向き合わざるを得なくなった。
いつまでも逃げては居られなかったし、自分自身でもその原因を知りたかった。
心理学の本やメンタルケア系の本を読み漁り、そこに書いてあるように
自分の生い立ちを全部振り返り始めた。最初は全く理由がみつからなかった。
私は、母からも父からもそして祖母からも可愛がられていた・・はずだ。
こんなに心が愛情に餓えて苦しむようなことはされてこなかった。
妹は祖母にもタバコを押し付けられたり、ひどいことをたくさんされてきて、
父にはいつも蔑まされ、いじめられていた。私はいつも安全地帯にいたはずだ。
どうしてだろう…どうして…。
そうやって、何度も何度も自分史を振り返るうちに少しづつ見えてきた。
「私は愛情を表面上受けていても、気持ちの上で拒否して、受け入れようとしていなかった・・・妹への罪悪感から。」
ようやくそれに気づくことが出来た私は、少しづつうつ状態から回復していった。
しかし現実問題として、実際に友人との交流もほとんどなく「ひとりぽっちの私」で
それが解決できないのが、依然としてうつから完全に脱出できない
原因になっていた。

病院にも通い抗不安薬も飲んだりして3ヶ月も休むと一旦は回復したので、
今度は会計事務所付属のソフト会社にインストラクターとして就職。
だけど、ほとんど何の知識もない私が入れたのも、この会社がかなりいい加減で
詐欺ギリギリの営業トークで仕事を取ってくる社長のアバウトな
判断のおかげ。社員の能力以上の話を吹っかけて、契約をどんどん
取って来るので、離職率が異常に高くて平均6ヶ月くらいで次々と人が辞めていく。。
なので、引継ぎが全くされないまま前任者はすでに居ない・・ことが普通で
担当者は茫然自失でお客の前に立たされることもしばしば。。
例に漏れず、私もこの被害を被り、公私に渡るストレスが祟ってまたまた
うつ状態へ突入~。自滅して退職。

この超弱気の所に、付け込こまれて?営業の彼氏と付き合い始めてしまう。。
前回「優しいだけではダメ」と学習していたので、彼の強引さに惹かれてしまったのだ。
しかし、その強引さは、ただの自己中だった。最初は優しかったのに
私の心が彼氏から離れないと知るや、次第に異常なまでの束縛と嫉妬がエスカレートしていく。。
ほとんど居ないような形ばかりのわずかな友人とさえも断絶させられ、完全に友人を失うハメに。

2000年(27歳)
うつ状態を引きずったまま、1年ほど職を転々として再び診療所の医療事務に。
父はこのころ職にあぶれていて無職状態だったので、
「早く働いて家に金を入れろ!」とプレッシャーが強く、働かなければ
家に居られない雰囲気だった。しかし完治しないまま働くので
仕事が出来ずに半年でクビを言い渡されてしまう。
同時期、家庭問題も最悪状態に。自己愛・自己中のモラ父の振る舞いに
ついにキレて妹と家を出て2人で自活することに。
(妹とは2年共に同居したが、結婚した為後の2年はひとり暮らしになる)

2001年(28歳~31歳)
なんとか、1ヶ月の就職活動の後に最後の就職先、薬局の医療事務として就職。
最初こそ、うつ病の後遺症で仕事に支障をきたしたが、徐々に回復し、
本来の実力を発揮できるようになり、スタッフから信頼を得る。
と、同時に自分を肯定的に受け入れられるようになってきた。
となると、今度は彼氏と私だけの閉塞的な異様な関係に不満を感じるようになってきた。
彼の要求を聞けば聞くほどに、私の心は傷ついた。

あまりにも辛くて、でも彼氏への怒りをどこにもぶつけるところがなくて、
自分の手首を2・3回包丁で切ってみたこともあった。但し怖いので軽く。
そのとき自傷行為をするひとの気持ちが分かったような気がした。
あれは、誰かへの怒りや寂しさなどの心の叫びをを抱えていることへの
アピールなのだと。救済のサインだと。私もそうだった。誰かに、というか
当時はその彼自身に「私の心はこうしてこんなに傷ついているんだ!」と気が付いて
欲しかったから、そんなことをしていたのだ。

話を戻す。
しかし「私はひとりぽっち。別れたらもう誰も居ない」と依存的心理状態だったので、
束縛や嫉妬が異常なまでにひどくても、なかなか別れを決断できなかった。
しかし、動悸や爪の異常、蕁麻疹など、彼氏と一緒に居ることに対する
拒否反応が次第に体に出るようになり、別れの時が近い事を感じるようになる。

2004年(31歳)
そして31歳、いつもの痴話喧嘩の際に決定的な一言
「お前の意思なんか関係ない!付いてくるなら俺の意思を尊重しろ!」を言われ、
別れることを決断。ついに別れを告げる。
ストカーされるかと怖かったが、それほどゴネられることもなく
去って行ってくれた。。

私は人形じゃない!いつもアンタの言うとおりに出来るわけない!
冗談じゃない!もういい加減にして!!

そう心が叫んでいた・・・もうひとりでもかまわない。
一から全部やり直す。きちんと自分の足で立ち上がって
自立して生きて行こう・・・!きっと、きっとなんとかなるはずだ。
今の私なら。

そう決意して、お互いに依存し合ってはいたが「ひとりぽっち感を」
慰め、やがて癒してくれた相手を捨ててしまったことに
罪悪感もあって、辛く泣いたときもあったが、ひと月もすると
自分が自由の身になっていることに、ようやく喜びを感じるようになっていた。

私は自由になった。これからは、ゆっくり生きて行こう。
もう誰かに振り回されることもない。
そして自ら振り回されるようなこともしない。
自分の意思で生きていくんだ・・・

そう、とても前向きな気持ちになって、心が晴れていった。

2004年9月(31歳)
そんな心境の中、blogを始めることにする。
名前はalone。ひとり。
ひとり暮らし。タイトルは「ひとり暮らしの独り言」
私はひとり。だけどしっかりと歩いていく。。

そんな心機一転の決意の中、不思議な運命の扉が待っていた。
blogの開始はまさに彼(ダンナ)との出会いに直結していた。
彼に出会うために、始めたかのように。

開始1週間ほどで、彼のblogに出会い、やり取りを始め
その2週間後には彼からアプローチのメールを受け取る。
そのときにはすでに私も彼に好意を持っていたので、
すぐにメール、電話、チャット、そして埼玉と兵庫の遠距離恋愛が始まった。
彼の書く文章からは誠実さと真面目さ、
そして自信からくる落ち着きとやさしさが感じられた。
「この人はきっといい人だ・・・」そう思った。
実際に会ってみると、私の想像していた通り、優しく誠実だった。
優柔不断さもなく、自己中心でもなく、のんびりしてはいるけど
相手の立場に立ってちゃんと考えられる人だった。
私は理想のひとについに出会ったと思った・・・

2005年(32歳)
1月中旬、交際4ヶ月、妊娠発覚。退職。
2月新居を決めて11日に兵庫に引っ越してくる。
blogのタイトルをBLOG的・ジェットコースター系marriage wayに改める。
2月22日入籍。
4月3日結婚式。
9月24日ミキティ誕生。

怒涛の一年間。
今までの全く冴えない自分の人生からは考えられないような、
陰から陽への運命の展開。こんなことが現実にあるのかと
自分でも信じられないくらいの目まぐるしさだった。
友人も何人かは連絡がとれるようになった。

神様はいるのかもしれない。いや、居ると思う。
苦しみもがいて、それでもなんとか自分で立ち上がり、
決意して未来を信じて歩いていこうとするとき、
そっと手を差し伸べてくれた。。
そう思わずには居られない。

そして、今の幸せに感謝しつつ、今に到る。。
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[ 2007/01/29 09:52 ] 自己紹介 | TB(0) | CM(7)
ご自分の気持ちの整理のために書かれたということなので,コメントつけるかどうか迷ったのですけれど・・・。

記事を読んでいて感じたのは…
これまでの時間の中で,aloneさんが自分の心から逃げることなく,ちゃんと向き合って頑張ってきたからこそ旦那様との出会いがあったし,今の穏やかな時間があるんだろうなぁということでした。

運命を感じるほど劇的な変化なんてそうそうみんなに起こるものではないと思います。(たぶん)
それが起こったのはきっとaloneさんのまっすぐな生き方があったからなんじゃないかなって思いました。

私としても読んでいて共感することがたくさんあって,すごく心に響きました。。
私もaloneさんみたいに強くなりたいと思います。

えっと,そういうことでこれからもよろしくお願いしますね☆
(むりやりなまとめ方になっちゃいましたf^-^;)
[ 2007/01/29 21:05 ] みゅー [ 編集 ]
お疲れぎみのパパは先に寝室へ。
「夜更かししないように!」と言われたのに・・・
年表を読んで、旧ブログに飛んで、旦那様と出会った頃のブログを読みつつ、旦那様のブログに飛んで・・・

寝れない・・・

[ 2007/01/30 01:09 ] ろころこ [ 編集 ]
まあ、誰にでも人生はあるので、
本当に「この人にこんな過去が?」
っていうことはいっぱいありますよね。
いつも笑っている人が、ここまでくるのにどれだけかかっていたか、とか。
人の心の闇なんでそうそう簡単に除けるものではありませんしね。
みんなそうやって頑張って生きているんですもんね。

結局「あきらめないこと」が幸せにつながるんだと思うんですよ。
頑張っていると神様はちゃんとそれだけの幸せを持ってきてくれる。
私はそう信じています。
不幸なだけの人生はない。
そうこれからも信じて生きたいな^^

旦那さんに出会えて、良かったですね。
これからもお幸せに。
[ 2007/01/30 12:16 ] しまりす [ 編集 ]
こんばんは。
年表読ませていただきました。
前から、どうして「alone」っていう
お名前なんだろうって思ってたんです。
B’Zのファンなのかな…なんて(汗)。

前お会いした時、明るくて面白い方だなぁって思ったので、正直読んで驚きました。
でもだんなサマとの出会いも、私との出会いも(一緒にしてすみません・・・)、、新しい命の誕生も、今までのすべての事があってのこと…だと思うと、ほんとうに運命って不思議ですね。

私も神様はいると思います。
「神様はその人が超えられるだけの試練を与える」という言葉をなにかで聞いて、私も問題にぶつかった時は、「神様、ハードル高すぎるよ…」と思いながらもなんとか乗り越えることができています。
そしてその後には必ずいいことがあります★
[ 2007/01/30 23:13 ] かな [ 編集 ]
★みゅーさん★
みゅーさんはきっと読んでくれてるだろうな・・と思ってました。
コメントどうもありがとうございます!

結局は自分から逃げないっていうのが大事なんでしょうね。。
逃げてるうちはどんどん追いかけられるという法則??

みゅーさんはどんな所に共感してくれたんでしょうか。。
今度こっそり教えてください♪
それから、こちらこそよろしくお願いしますm(_ _)m

★ろころこさん★
前のまで読んでいただけるなんて嬉しいです~。
と同時に恥ずかしいですが・・・
でも人生ってわからないものだなぁとつくづく思います。

★しまりすさん★
しまりすさんもこんな長いのを読んでくれてありがとうございました。
私はしまりすさんの情の深いところをblogで読んでいて、
きっと色んな経験をされてるんだろうなぁと思ってて。。

ホントに人それぞれ色々あるんですよね?
諦めないって大切だと私も思います!
世のいじめられっ子たちにも諦めないで生き抜いて欲しいと思います。
あと少し我慢出来れば、ちゃんと出口があるんですもんね・・・

★かなさん★
そうですよね~。今はaloneじゃなくなってしまったので、
私もタイトル変更の時に、名前もどうしようか迷ったんですが、
「あろーん」て結構カワイイ響きだし、もう自分になじんでしまったので
そのままにしてしまいました(^^;ゞ

性格も、昔はホントに暗くて、今とは全然違ってたんですよ。。これが本来の方だと思うのですが。

私も特定の信仰・・ってもちろんないのですがカミサマいるよなぁと思う一人です。。
乗り越えられるだけのハードルを与えられるって話は私も聞いたことがあります。
オーラの泉とかも大好き。(あれ、為になりますよねぇ?)
これからは、どんなハードルがあるか分からないけど、頑張りましょうねっ。
[ 2007/02/01 00:38 ] alone [ 編集 ]
記事に書かれていることは、aloneさんが、時折書かれていることでおおよその見当はついていました。
読んでいて涙が出てきました。
もっと幸せになれたはずなのに、お父さんのために歯車が狂ってしまったのですね。
私が最初にaloneさんを意識したのは、ムカデに刺されたときだったと思います。あの時は、solaさんと二人で心配してくれましたね。
頼るところがなかった私にとって心強い人という印象を受けました。
これだけ書くということは、妊娠中ということを割り引いても、勇気のいることだったと思います。
これからも応援させていただきます。
迷惑かもしれませんが(笑)
[ 2007/02/09 20:47 ] poket [ 編集 ]
連続のコメントありがとうございます~。
愚痴みたいに吐き出したのを丁寧に読んでいただいて・・
でもなんだか、コレを書いてから、ずいぶんと気持ちが楽になりました( *^^*)
やっぱり、書くのって気持ちの整理になるんでしょうね?
こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします!
[ 2007/02/13 23:31 ] alone [ 編集 ]
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プロフィール

alone

Author:alone
★私 alone ★
出身:東京生まれ、サイタマ育ち。
生年月:1973年4月
住まい:兵庫
2005年2月に兵庫に嫁に来ました。
ダンナさまと出会ったキッカケはお互いのblogを通じて。4ヶ月の交際の後、電撃的に授かり婚。でもそのラヴラヴさは今でも変わらず。だって運命の人だから…♪

★ダンナ speedysilence
出身:生まれも育ちも兵庫
生年月:1977年2月(私の4つ下)
真面目な会社員。スポーツ全般が好きでテレビでgolfをやってれば、コースに出たり家ではゴルフのゲームをする。同様にサッカーを見ればフットサルをし、家では…以下ry..

★長女 ミキティ★
生年月:2005年9月
ワタシ達の初顔合わせデートからちょうど1年後に誕生!正に愛の結晶♪ワンダーランドの住人→マイペースなメルヘン乙女。

★長男 たー坊 ★
生年月日:2007年7月
ミキティとは2歳差。とってもおちゃらけ&食いしん坊坊。

★次男 リョウ ★
生年月日:2010年11月
さてどんなキャラクターに育つやら・・・


 ★alone blog の歴史★

2004/9 goo でblogスタート

2004/9 ダンナさんと出会う!

2005/1 妊娠発覚!

2005/2 入籍!!兵庫嫁入り!

2005/4 挙式
結婚

2005/9 ミキティ誕生!
20050924
ミキティ


2006/6 fc2にblog引越

2006/10 第二子妊娠!

2007/7 たー坊誕生!
20070704212312.jpg
たー坊

2008/4 新築一戸建購入

2008/5 引越

2008/11 ミキティ3歳七五三
200811

2010/2 第三子妊娠

2010/4 ミキティ幼稚園入園
幼稚園入園式

2010/11/6
第三子次男・リョウ誕生!
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リョウタ

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